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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)117号 判決 1985年3月25日

原告

ジヨセフ・ルーカス(インダストリース)・リミテツド

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、昭和47年審判第4120号事件について、昭和53年1月11日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告は、主文同旨の判決を求めた。

2  被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「蓄電池充電装置用の電圧調整器」とする発明(以下、「本願発明」という。)について、1967年2月6日英国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和43年2月5日に特許出願をした(同年特許願第6778号)が、昭和47年3月1日に拒絶査定を受けたので、同年7月3日、これに対し審判の請求をした。特許庁は、これを同年審判第4120号事件として審理した上、昭和53年1月11日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年3月15日、原告に送達された。

2  本願発明の特許請求の範囲

蓄電池に接続される一対の端子と、この一対の端子間に接続され且つ電圧感応装置と抵抗とを含み前記電圧感応装置が所定の蓄電池電圧にて導通して前記抵抗の両端に電圧を生ずるようにした直列回路と、ベースエミツタ接合が前記抵抗の両端に接続されたトランジスタと、このトランジスタのコレクタ電流に感応して蓄電池を充電する発電機の出力を変化させる手段とを備え、蓄電池の電圧調整が所定のコレクタ電流で始まり、前記抵抗の値は、電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するように前記トランジスタの特性および他の回路定数との関係において選択されることを特徴とする路上走行車との蓄電池充電装置用電圧調整器。

3  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は、前項の特許請求の範囲に記載されたとおりである。そして、本願明細書の発明の詳細な説明の欄には、蓄電池充電装置用の電圧調整器の温度補償をサーミスタで行わずに、トランジスタとツエナ・ダイオードの特性を利用して行うことにより、回路部品数を減少し、故障の原因を少なくすると共に生産コストを軽減する旨の記載がある。

2 これに対して、特公昭39―17770号公報(以下、「引用例」という。)には、蓄電池の電圧を一定に調整するために、蓄電池に接続される一対の端子と、この一対の端子間に接続され、所定の蓄電池電圧によつて導通する電圧感応装置と、該電圧感応装置の導通により導通するトランジスタ・スイツチング回路と、該トランジスタ・スイツチング回路のコレクタ電流に感応して蓄電池を充電する発電機の出力を変化させる回路とからなる電圧調整装置の温度変化による補償をサーミスタで行つているものが記載されている。

3 そこで、本願発明と引用例に記載された技術内容とを比較すると、ただ、電圧調整回路の温度補償を、本願発明は、サーミスタで行わずに、温度特性の異なるトランジスタとツエナ・ダイオードとを組合せたこと(相違点(1))、及びトランジスタのバイアス抵抗の値を電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するように前記トランジスタの特性及び他の回路定数との関係において選択されること(相違点(2))にのみ、引用例記載のものと相違が認められる。

4  しかし、サーミスタを使用せずに温度特性の異なるトランジスタとツエナ・ダイオードとを組合すことにより、その回路の温度変化による補償を行うことは周知である(例えば、実公昭39―32462号公報)。

また、トランジスタのバイアス抵抗の値を決定する場合に、トランジスタにかかる電圧、トランジスタ以外の回路定数及びその回路の使用温度などを考慮することは、設計上きわめて普通のことである。

したがつて、温度補償をサーミスタで行わずに温度特性の異なるトランジスタとツエナ・ダイオードとの組合せによつて行う本願発明のような路上走行車の蓄電池充電装置とすることは容易に考え得ることである。

5  よつて、本願発明は、引用例に記載された技術内容及び上記周知技術に基づいて当業者が容易に考え得るものと認められるから、特許法29条2項により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき理由

審決の理由の要点1、2、3は認める。同4のうち相違点(2)につていての判断及び同5は争う。審決は相違点(2)についての判断を誤り、これにより誤つた結論に至つたものであるから、取り消されなくてはならない。

1 本願発明の「温度補償」について

本願発明は、路上走行車の蓄電池充電装置の電圧調整器に関するものである。路上走行車に搭載されている蓄電池は使用環境の下で比較的幅広い温度変化にさらされ、高温時には充電電流が増加して過充電となり、低温時には充電電流が減少して不足充電になる傾向がある。このように蓄電池周囲の温度変化に対して充電時に蓄電池端子に供給する充電電圧を調整して過充電や不足充電が生じないようにすることを温度補償といい、本願明細書にいう「温度補償」はこのことをいう、本願発明は、この意味での温度補償の有効性を大ならしめる回路構成を提案するものであり、本願発明では、この温度補償を、トランジスタと、所定の蓄電池電圧で導通する電圧感応装置とを組合せ、トランジスタのベース・エミッタ間に抵抗を接続した回路で行い、しかもその抵抗値をトランジスタの特性及び他の回路定数との関係で選択することにより、温度補償の効果(有効性)を所望のとおり変えられるようにしている。

2 審決の判断の誤り

審決は、相違点(2)について、「トランジスタのバイアス抵抗の値を決定する場合に、トランジスタにかかる電圧、トランジスタ以外の回路定数、及びその回路の使用温度などを考慮することは、設計上きわめて普通のことである。」としており、一般的にはそういえるが、相違点(2)についての判断としては妥当しない。すなわち、審決は、本願明細書第1図(別紙図面)におけるトランジスタ25のベース・エミッタ間に接続された抵抗24を通常のトランジスタのバイアス抵抗と同じものであると誤解し、その結果、その抵抗値の選択基準を通常のバイアス抵抗の抵抗値選択基準と同一視するという誤りを犯したものである。

本願発明における右抵抗は、通常のトランジスタのバイアス抵抗ではなく、蓄電池充電における前記温度補償の効果を有効ならしめるための抵抗であり、したがつて、その抵抗値は、通常のバイアス抵抗としての選定基準によるのではなく、温度補償の有効性を調整するという観点から選定されている。具体的には、トランジスタ(同図25)の特性及び他の回路(同図抵抗21、22、ツエナ・ダイオード23)定数との関係で選定される。このことは、本願発明の特許請求の範囲に、「前記抵抗の値は、電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するように前記トランジスタの特性および他の回路定数との関係において選択される」と明記されている。そして、右の観点から抵抗24の抵抗値を選ぶことにより、抵抗21に対する抵抗24の値の比率により温度補償の効果を容易に調整できるという作用効果を奏するものである。特に、抵抗21に対する抵抗24の値の比率を小さく選べば温度補償の有効性を大きくすることができ、実施例では、抵抗24の値が抵抗21の値より著しく小さく(5分の1)選ばれている。

一方、引用例のものにおいても、本願発明における抵抗24に対応する抵抗78が設けられている。しかし、引用例には、この抵抗78の値を他の回路(例えば、本願発明における抵抗21に相当する抵抗73、74)定数との関係において選択する旨の記載はないし、この抵抗78の値を変えることにより温度補償の効果が調整できるとの示唆ももちろんない。引用例に示された実例においては、抵抗73は150オーム、抵抗74は68オーム、抵抗78は150オームとなつており、抵抗78の値を他の回路定数である抵抗73、74の値に対して小さく選んでいる事実は認められない。したがつて、引用例からサーミスタを除いてみたところで、本願発明は容易に推考できるものではない。

3 以上のとおり、審決は、本願発明における抵抗が単なるバイアス抵抗にすぎず、その抵抗値は通常のバイアス抵抗値決定の際の設計上の常識に基づいて決定されるものと誤認し、この抵抗の重要性すなわちその抵抗値を変えることにより温度補償の有効性を変えられるという重要な作用効果を看過して、本願発明が引用例と周知技術に基づいて容易に考え得るとの誤つた判断をしたものであるから違法である。

第3請求の原因に対する認否、反論

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。同4の審決取消事由は争う。

2  原告は、本願発明における抵抗24は、通常のトランジスタのバイアス抵抗ではなく、温度補償を有効ならしめるものであると主張する。しかし、本願発明の右主張に関する構成は、請求の原因42で原告の引用する特許請求の範囲の記載を見ても、単に希望的条件として記載されているだけであつて、抵抗24が温度補償を有効ならしめるための具体的要件は何ら特定されていない。そして、右抵抗の値をトランジスタの特性及び他の回路定数との関係において選定するようなことは、具体的な構成ではなく、設計者が種々の条件を勘案して定める設計事項である。すなわち、蓄電池電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するような特性の回路を備えた路上走行車の蓄電池充電装置用の電圧調整器は、本願出願前公知である(乙第1、第2号証)。また、ツエナ・ダイオード23が導通する以前は、蓄電池電圧及び抵抗21、22の値によつて、ツエナ・ダイオードにかかる電圧が定まる。そして、前記電圧がツエナ・ダイオードの特性によつて定まる電圧に達した時、ツエナ・ダイオードは導通して、抵抗24とトランジスタ25のベース・エミツタ間に電流が流れる。この時のベース・エミツタ間に流れる電流は、抵抗21、22、24の値及び右トランジスタの特性によつて定まる。したがつて、抵抗24の値は、温度補償のみを考慮して定めるものではなく、先ず、トランジスタ25の特性に基づく動作点、蓄電池電圧、抵抗21、22の値との関係によつて定め、さらに、温度補償、回路の安定性、消費電力、利得あるいは価格など種々の条件を勘案しながら最も良い値に選定するものであつて、このようにすることは、設計者が採る常套手段であり、いわゆる設計事項にすぎない。

原告は、引用例には、抵抗78の値を他の回路定数との関係において選択する旨の記載はないと主張するが、引用例における抵抗78においても、その値は、温度補償のみによつて定められるものではなく、蓄電池電圧、トランジスタ70あるいはツエナ・ダイオード80の特性、温度応動抵抗82及び抵抗73、74、75、76の値との関係において、所望の最も良い結果が得られるように選定されるのであり、このように選定することは設計者がきわめて普通に行う設計事項であるから、引用例に右の記載がないのは当然である。

以上のとおり、原告の主張は失当であり、審決の判断に誤りはない。

第4証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、審決取消事由について判断する。

1 成立に争ない甲第2号証の1ないし3によれば、昭和45年11月28日付及び昭和52年5月11日付各手続補正書による補正後の本願明細書(以下、「本願明細書」という。)の発明の詳細な説明の欄には、本願発明の路上走行車の蓄電池充電装置用電圧調整器による温度補償に関して、「温度補償をするのにサーミスタを使うのが普通であるが、この発明によれば、サーミスタを使う必要がなく、トランジスタの特性によつて補償がなされる。」(甲第2号証の1、2頁7行ないし10行)、「蓄電池の温度が一定なら、回路は上述のままで申し分ない。然し、実際には、蓄電池の温度は必らず変動するので、温度補償をする必要がある。普通、このような補償は抵抗21と並列にサーミスタを接続して行なつている。第3図(第2図の誤記)の曲線Aは、サーミスタを用いた公知の電圧調整器の温度と調整電圧の関係を示すものである。好ましい特性は、温度があがると調整電圧が下がるようになつているものである。サーミスタを除くと、曲線Bのようになり、これは全然不満足なものである。第1図ではサーミスタを用いないが、曲線Cが得られる。これなら無論満足できる。曲線Cは、サーミスタなしでも、種々の素子の値を正しく選べば得られる。」(同5頁13行ないし6頁6行)との記載があることが認められる。右記載と本願明細書添付第二図(甲第2号証の1)によれば、本願明細書にいう「温度補償」とは、蓄電池がその周囲温度の変化に影響され、高温時には充電量が増加して充電過剰となり低温時には充電量が減少して充電不足になることから、充電量を温度に逆比例させること、すなわち、充電電圧を温度が上昇すれば低下させ、温度が低下すれば上昇させるように電圧を調整することを意味するものと認められる。

そして、本願明細書の右引用箇所に続く「トランジスタ25は、予定のコレクタ電流で、所定のベース・エミッタ間電圧が温度につれて低下するような特性を持つている。予定のコレクタ電流で調整が始まるから、トランジスタ25の温度が上がると交流発電機の出力電圧が低下するようにして、トランジスタ25が蓄電池の温度に十分近い温度にさらされるようにすれば、所要の調整が達成されるようにすることができる。この補償を有効なものにするには、抵抗21の値に対して抵抗24の値を慎重に選ばなければならない。これは補償の有効性がこれらの抵抗の比率で倍増するからである。第1図に示した形式で何等温度補償を施してない回路は公知である。このような回路は、前述の問題があつて蓄電池充電装置に用いることは適さない。第1図に示す回路がこれら回路と異なるのは、特に抵抗24の値の選び方である。抵抗24は普通は高い抵抗値を持つが、温度補償を働かせる為には、その抵抗値が低いことが必須要件である。」(甲第2号証の1、6頁7行ないし7頁6行)との記載と前記引用箇所の記載並びに本願明細書添付第1図に示す本願発明の実施例を示す回路図(別紙図面)によれば、本願発明は、サーミスタを用いずに、しかもサーミスタを用いたと同程度に前記の意味での温度補償を有効に行わしめるため右回路図における抵抗24の値を定める点にその発明の本質があるものと認められ、このことを特許請求の範囲において、「前記抵抗の値は、電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するように前記トランジスタの特性および他の回路定数との関係において選択される」と規定したものと認められる。

2 被告は、特許請求の範囲には、温度補償を有効ならしめるよう抵抗24の値を定める具体的要件は何ら特定されていないと主張する。

しかし、前記の意味での温度補償を行うことを目的として、「電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するように」するという本願発明の回路の温度特性は、本願発明の要旨とされた回路構成の下で、トランジスタに所定のコレクタ電流が流れるときの右トランジスタのベース・エミツタ接合の両端に接続され、抵抗と電圧感応装置とを含む直列回路の両端の電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するというトランジスタ回路の具体的特性をいうことは明らかである。そして、右回路における特定の接続関係の下において、トランジスタの特性と他の回路定数とが定まつていれば、右温度特性に対応して右抵抗の値が一義的に定まることは電気的回路の性質上明らかであるから、右特許請求の範囲の記載はこれでもつて右抵抗の値を規定するものとして十分理解できるところといわなければならない。

3  ところで、引用例には蓄電池の電圧を一定に調整するために温度補償をサーミスタで行う電圧調整装置が記載されている(このことは当事者間に争いがない。)にすぎないのにかかわらず、審決が本願発明を引用例に基づき容易に発明できたものとした理由は、前記審決の理由の要点4によれば、引用例のものに、「サーミスタを使用せずに、温度特性の異なるトランジスタとツエナ・ダイオードとを組合すことにより、その回路の温度変化による補償を行う」という周知技術と「トランジスタのバイアス抵抗の値を決定する場合に、トランジスタにかかる電圧、トランジスタ以外の回路定数、およびその回路の使用温度などを考慮する」という設計事項を合わせて適用することにより、容易に本願発明に想到できるというにあることが明らかである。

しかるに、成立に争いのない甲第4号証によれば、審決が右周知技術の一例として挙示した実公昭39―32462号公報に記載されたものは、トランジスタの有する温度特性と逆の温度特性を有するツエナ・ダイオードを用いてトランジスタ回路の動作電流を温度変化に対して安定なものにする技術であると認められる。右事実によれば、審決が周知であるとした「その回路の温度変化による補償を行うこと」とは、温度が変化しても回路の動作電流が一定に保たれるようにすることを意味すると解さざるを得ない。

そうすると、審決摘示の前記設計事項は別途特定された回路の特性を実現するための手段にすぎないから、引用例のものに対して右周知技術を適用しただけでは、「トランジスタにかかる電圧、トランジスタ以外の回路定数、およびその回路の使用温度などを考慮」してトランジスタのバイアス抵抗の値を決定しても、右抵抗の値は、本願発明のように、電圧調整が始まるときの蓄電池の電圧が温度とともに変化するように選択されることはあり得ないといわなければならない。したがつて、蓄電池の電圧が温度ともに変化するような特性を有する回路が本願出願前公知又は周知であれば格別、本願発明は引用例の記載及び前記周知技術に基づいて当業者が容易に考え得るものであるとはいえない。

4  被告は、蓄電池電圧が予じめ定められた所望の態様で温度とともに変化するような特性の回路を備えた路上走行車の蓄電池充電装置用電圧調整器は本願出願前公知であると主張し、乙第1号証(特公昭39―5812号公報)及び乙第2号証(実公昭39―28626号公報)を授用する。しかし、前記審決の理由の要点によれば、右公知事実は審判の手続において審理判断されなかつたことが明らかであるから、これとの対比における本願の拒絶理由は審決を適法とする理由として主張することができない(最高裁判所昭和51年3月10日大法廷判決参照)。また、右のような電圧調整器が本願出願前当業者間に周知であつたことを認めるに足りる証拠はない。

5  以上のとおりであるから、審決は、本願発明における温度補償の意味を正しく把握せずに慢然と周知技術の一例として挙示した前記公報記載のものと同視した結果、引用例と周知技術から本願発明は容易に考え得るとの誤つた結論に至つたものといわざるを得ず、違法として取消を免れない。

3 よつて、審決の取消を求める本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(瀧川叡一 松野嘉貞 牧野利秋)

<以下省略>

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